大会長あいさつ

              平成29年度 京都学術大会

              金田恆孝大会長 東淀川教会主任牧師・臨床心理士

 

わたしは嘆きによって疲れ、夜ごとに涙をもって、わたしのふしど(臥所)をただよわせ、わたしのしとね(敷物、布団)をぬらした。わたしの目は憂いによって衰え、もろもろのあだのゆえに弱くなった。(口語訳聖書 詩篇667節)

 

 

         『おたがいさまのこころを守り合う』

 

 

【告知】

平成29年、第53回京都大会メインテーマを『公認心理師に未来はあるか?貳』

サブタイトル 「~いま“臨床”の意味を問い直す~」と致します。

 

 昨年の姫路市における大会のメインテーマは『こころの医療化を問う』でした。このテーマはこの学会の再出発にあたり中心に据えた「柱」です。

 更に今日差し迫ったこころの危機を象徴している「公認心理師・国家資格化」という現実を踏まえながらサブテーマとして掲げたのが、「〜公認心理師に未来はあるか?〜」でした。

 

 平成29年京都修学院における大会では、去年のサブテーマをメインテーマとして、これが更に緊急の課題であることを示し、更に公認心理師という名称から“臨床”がそぎ落とされた(そぎ落とした)ことの意味を問い直おそうと、サブテーマとして掲げました。

 

 再出発、といってもこの学会は今、死と再生の、“産みの苦しみ”のまっただ中にあります。

 学会誕生以来、これまでも姿勢や考え方の違いで離脱、分裂するなどの混乱はありましたが、改革を目指す“改革派”の中心メンバーを「永久除名」とし、守旧派が改革派に対し損害賠償を求めるほどに徹底排除するほどの攻撃はありませんでした。

 これを書いている現在も裁判のまっただ中です。

 平成27年9月の京都における総会で、反議長派(守旧派)は議場の圧倒的多数により選ばれた議長側に味方する人々(改革派)を排除すべく妨害し、会場利用の時間制限を利用して流会工作をし、議長による後日の総会継続の呼びかけを誹謗し、我々が可能な限り会員に呼びかけて行った大阪での継続総会を無視し、後日東京で開いた独自の集会を“総会”と詐称し、そこに駆けつけた我々の抗議をまさに抹殺したのです。

 このなりふり構わない排除、抹殺攻撃をし、心理職の国家資格化を画策してきたのが「全国保健・医療・福祉心理職能協会」(全心協)であり、この学会の守旧派の中心メンバーです。彼らは医師の権威を中心とした医療産業に従属することによる心理職の地位向上を謳い、各分野の心理職をその目論見の基に集めてきました。

 医師による“臨床”の独占と、心理職を医師の予診や、医師の指示のもとで心理テストやカウンセリングを行わせたい「日本精神科病院協会」(日精協)の支えによって、40年ほどにわたって医師免許に比肩する国家資格を目指してきた、これまたなりふり構わず政治家を中心に据えて画策した「臨床心理士」たちの動きを(二資格一法案も提出されたのですが)出し抜いて、独自に国家資格化を実現し、誕生させたのが全心協であり、結果としての「公認心理師」でした。

 

 平成27年臨時総会と称する集会の守旧派の会長亀口公一氏の声明の結びの部分です。「公認心理師法」が成立しましたが、心理・社会的弱者やマイノリティーが生きづらい世の中であることには変わりはありません。本学会は、歴史はありますが本当にささやかな専門家・当事者主体の小さな学会です。には、成立させた「公認心理師」の問題は抜きにした、むしろ公認心理師を成立させた立役者としての自負と、マイノリティではない医師を中心とした医療産業に従属する心理の「専門家」としての地位向上と、「当事者を我々専門家と同等の主体として尊重しますよ」「患者を大事にする医師につないであげますよ」という“かっこつけ”が見事ににじみ出ています。

 

 近代的・科学的医学が始まり、治療対象が人間から“部位”に変わり、癒す側のこころを必要としない、白衣を着た“知識と技術”が部位の傷や病を治すという信仰を礎とする医学が確立されてより、患者のもとに往診するスタイルは廃れ、患者は治療施設にいる医師のもとを訪れて治療を受けるというスタイルが中心となりました。

 こころに対しては「精神科」が担当し、“こころは脳にある”という仮説のもとに脳や脳内物質を電気や薬で操作する技術と知見が「精神医療」として現代医療産業の中で大手を振っています。

 

 私たちは近代的・科学的医学、医療産業に閉じ込められたものではない、本来の「臨床」とは何かを問い続けたいと思います。臨床の「床」は文頭に掲げた「ふしど」なのでしょう。共感力をもってお互いさまのこころとその痛みを分かち合う、ともに癒されることを求める、それが臨床の「臨」たる姿勢なのだと思います。

 

 古代ギリシアでは、医神であるアスクレーピオスの神殿等でヒーリング(癒やし・臨床のわざ)が行われていたそうです。日本でも明治時代に修験道禁止令が出され、西洋医学が治療の中核と定められるまでは、石動修験道、白山修験道をはじめ、各地の修験道者たちが薬草や薬を背負い山々を越えて各地の人々を癒したり、祈祷や黙想による内観療法、温泉治療、転地療法などを施してきた臨床のわざの蓄積、歴史があります。

 

 近代日本の臨床心理学の草分けでもあり、また、戸川行男らが先駆者であった日本臨床心理学会の理想とした当初の基本スタイルは、脳を対象とせず、こころ病む者の住家を訪れ、個々の人格に自らも傷つき病む人格としてかかわり、互いのこころの守り方を探り、病める者の人格の内的構造、人格を取り巻く社会・文化的状況や、個々のこころの固有性、特殊性を踏まえながら、本人自身や家族や社会・人間関係との調整を目指すスタイルだったと理解しています。公認心理師を推進した守旧派は虚飾に満ちた言質で近代医学につなげるべく「当事者」たちを招きつつ、この学会の当初の理想をみごとに裏切っています。

 

 昨年の大会に続き、こころの医療化に対峙しつつ、差し迫った課題に取り組んでいきたいと願います。

 今回は特に、こころに痛み苦しみを抱えておられる方々の居宅を尋ね、臨床行為を続けておられる高木俊介氏に、(高木氏が運営するACT[Assertive Community Treatment=包括型地域生活支援プログラム]にも触れることができると思います。)また、京都で子どもたちに対する向(抗)精神薬の投与に疑義を唱えておられ、自閉症児への関わりについて様々な提言をされている門(かど)眞一郎氏に発言をいただき、お二人を含むシンポジウムを企画しています。

 

 どうぞ、古都京都にご参集ください。

 

 

平成28年11月23日

                         平成29年度京都学術大会

                        大会長 金田 恆孝